海苔に命を懸けた男の一代記

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ここで海苔問屋に苦言

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ここで海苔問屋に苦言

兵庫の海苔は、手巻きにしてもパリッとする。まあ、消費者向けのする海苔といっていいだろう。そのような海苔が採れるのは、やはり水質というか、潮がよく通るから丈夫なのだろう。病害も少ない。草そのものも丈夫なのだと思う。だから、あれだけの生産があっても殆ど消化されてしまう。それでは、兵庫の海苔を扱って、問屋は儲けているのだろうか、というと、そうでもない。兵庫の海苔が商材の一つとして無くてはならない、というわけで買う。買ったけれど、段々安くなる。一次問屋と末端業者は良いけれど、中間業者は損をしている店が多いのではないか。それなら、買わなければ良いじゃないか、ということになるが、そうはいかない。ちょっと安くなると、また欲を出して買ってしまう。兵庫の海苔を買って儲けている人がいるのだろうか、と思う。とくに中間業者は。札貸しをした人は良いが、それからあとの人は難しい。残したら最後だから……。

損をするようなものを何故買うのか。さあ、そこが問題だ。海苔屋の助平根性とでもいおうか。このことをいうと、みんなは「親父さんは、もう隠居してしまっているから、そんなことがいえるのだ」というけれど、一部の大手は伸びているが、二次問屋は果たして生きて行けるのか、ということだ。その証拠には、息子さんたちが海苔屋を継ぎたがらなくなっているではないか。もっと良い商売なら、倅さんたちは喜んで後を継ぐだろう。もっと利益が出れば、後継ぎを嫌がる人などいないはずだ。

しかし、現実には親父限りで終わりだという店が多くなっている。とくに、中間クラスはちっとも利益が出ない。無理して買っても、結局は売り競争だ。残してはいけない、というわけで……。あれだけたくさん採れた海苔を全部買ってしまうのだもの。しかも、残してはいけない、といって外国にまで出してしまう。外国の方が日本より海苔は安いのに、日本で投げ売りしたら恥ずかしいというわけで、わざわざ焼海苔にして外国で投げ売りしている。こんな馬鹿げたことがあって良いだろうか。

海苔屋もつまらない面子を捨てるべきではないだろうか。大手だけに商売をさせておけば良いのに、つい手を出して買ってしまう。その年に採れた海苔が全部消化されるのなら良いが、そうでないとすれば、そこで誰かが損をしていることになる。銀行がカネを貸してくれるから買う、一方、生産者側は、採れた海苔は全部買ってくれるものだと思っている。しかし、それが残って毎年押せ押せになる。流通がスムーズにいって、荷物が片付いてしまえば良いが、そうではないのだから、海苔屋はいつまで経ってもウダツが上がらないのだ。売れる見込みの無い海苔、残す恐れのあるような海苔は絶対に買わない……、これは私が長い間商売してきた経験からいうことだ。買いたい人には勝手に買わせておけというと、面子があるという。しかし、面子などというものは商売には必要ない。面子などといい出したらお終いだ。しかし、それをやめられない人がたくさんいる。東京の問屋さんでも、買っては残し、買っては残して四苦八苦している人もいる。果たして、それがいつまで続くのか、というような人が多い。財産があるから、辛うじて店をやっているのではないだろうか。田圃を一反ずつ売っているようなものではないのだろうか。働けど働けど、財産は一向に増えない。海苔屋さんも、このへんで少しは考えないといけないと思う。