海苔に命を懸けた男の一代記

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問屋の今日の姿に思うこと

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問屋の今日の姿に思うこと

解釈の仕方にもよるだろうが、問屋の力が無くなってしまった。小粒で平均化してしまったとでもいうのだろうか。前にもいったが、終戦直後、問屋を篩(ふるい)に掛けようとしたことがあった。その時は、随分怒られたが、しかし結局は、統制の名残りというか篩(ふるい)は実現せず、そのまま多くの問屋が存在することになってしまった。

さあ、そこで、それら多くの問屋が果たして儲けているかどうかだ。親代々が築いてきた身上(しんしょう)があったからこそ、何とか保っているだけではないのか。にも拘らず、入札などでも余分なものまで落としている。そして、それを無理して売っているのだと私は思う。他の問屋から本当に自分が欲しい良いものを必要なだけ買った方がずっと安いと思うのに……。

この間、東京で起こった不祥事にしても、少しの量しか必要ないのに、大手と同じように札を入れて、ドカッと落としてしまう。その海苔を必ず残してしまって損をしている。そのようなものが溜まり溜まって不幸な結果になってしまったのではないかと思う。うちの連中も「あんな海苔をあんな値段で大量に落として、果たして売れるのだろうか」といっていたが、後で聞いたところでは、残したものは半値だったという。それは、暮などはみんな欲しがるが、そんなにたくさんは必要ではないはずだ。うちは、これだけあればいい、といえばいいものを、そこが見栄なのだろう。そのようなことを惰性で十年もやっていれば、おかしくもなろう。

ろくに売る力もないのに指定商になって見栄で大量の落札をする。そこに無理がある。他社が落札したものを譲ってもらって、そこそこのマージンを払って、必要量だけ買った方がずっと得だし、怪我もせずに済むはずだ。さて、現在の入札指定商制度が未来永劫に続くだろうかというと、私は早晩考えなくてはならない制度だと思う。問屋と生産者がよく話し合って、お互いの存続と発展のためにより良い方法、制度を考え出さなければいけないと思う。百億枚、百十億枚という大量の海苔を処理しなければならないのだから、よくよく良い方法を考え出さないと生販共倒れになってしまう。

生販が緊密に、しかも真剣に話し合って、ともに生きて行くことが大切な時代だ。生産者は、美味しい品質の良い海苔だけを採り、まずい海苔は採らないということ、そして問屋は、仕入れと販売の姿勢を正すことだ。指定商制度の改革にしても、ただオープンにしたのでは困るが、私は、何とか改善しなければ、とは感じている。しかし、多くの人は今のままで良いというかも知れない。しかし、今のままでは十年に一度くらいはどこかが潰れていくような気がしてならない。山口のHさんにしても、三重のOさんにしても、良い地場を持っていながらああいうことになってしまった。指定商の組合長をやっているからといって、残り物まで全部引き受けてしまった。そのようなことは土台無理な話なのだ。

それは、自分のところで必要な品物だけを、希望の価格で買うのが一番良いが、それは理想というもので、現実はそううまくは行かない。どうしても無理な札を入れてしまう。私は、いつも無理に買うな、といっている。買わなければ、損もしないからだ。本当に必要なものだけを全ての人が買えるという制度を作れた人がいたとしたら、その人は聖人だ。私も若い頃、指定商だったおやじの代理で朝鮮海苔の入札に行っていた頃、おやじは買うな、というし、入札場では「何故買わないんだ」と脅かされるし、往生したものだ。札に「買わない」という意味の印の○を書くことが如何に難しく、勇気がいることかを知らされている。

入札場では、みなさんが札にどんどん書いている。かといって、皆さんの半分の値を書くわけにもいかない。バカにしているといわれてしまうから。とにかく、入札場の異常心理というか、群衆心理というか、そういうものも確かにある。○を書いておけば損をしないのに、なかなかそうはいかない。しかし、当時の私は、脅かされたって殴られたって損はしたくない。人様に迷惑は掛けたくないと思って、断固○印を貫いたものだ。それくらいの判断力と勇気が必要なのではないだろうか。

入札場では、今も不健全な傾向があるようだ。佐賀辺りで頻繁に起こることだが、例えば、大手グループが百円くらいの札を入れるだろうと想像すると、八十円の札を入れる。ところが意外にも大手グループは○印を入れた。そうすると、八十円を入れた海苔屋にドカッと落ちるというわけだ。これが全部捌ければ良いが、そうはいかない。これでみんな損をするのだ。こういう点を改善して、入札を正常化させなければいけないと思う。それには、生販が協力して事に当たらなければなるまい。

さて、これからの海苔業界は、問屋ももちろんしっかりしなければならないが、生産者にも考えてもらわなければならないことも多い。生産技術が進歩した上に、どんどんと機械化されて、百億枚も百十億枚もの海苔が採れる。一方、消費は精々八十億枚か八十五億枚だ。これでは誰かが損をするわけだ。このへんを生産者も良く考えて欲しい。生販共倒れを防ぐにはどうしたら良いかを今こそ真剣に話し合い、対策を打ち出す時に来ていると思う。

それと、難しいことはいわない。消費者の気持ちも考えて上げなければいけない。市場には、これだけ世界中の食品が溢れているのだから、今までのように海苔は美味しいし、軽くて便利だから良いなんていっている時代ではない。もっと美味しい海苔を作り、消費者に提供しなければ……。もちろん、優れた美味しい海苔を加工し、売っている店も無いわけではないけれど、全部が全部そうとはいえない現状だ。それに、毎年ヒネが大量に残っている現状も何とか是正しなければいけない。海苔には一枚一枚製造年月日が書いてないから、消費者に安心して新鮮で美味しい海苔を喜んで食べてもらうようにしなければ、他の夥しい食品に負けてしまうと思う。

それは、現状を一遍に改革することは難しいだろうが、何とかみんなで良い知恵を出し合って、魅力ある海苔業界にしなければいけないと思う。子供からお年寄りまで、海苔の嫌いな日本人はまずいないと思う。そのような恵まれた商材を扱っているのだから。まして、海苔は日本人の主食のお米と一体になってくっついているのだから。しかし、現実はどうか。この間も北関東の或る温泉宿に泊まったのだが、朝、出された味付海苔の酷いこと。われわれ年寄りには硬くて食べられない代物だった。安い海苔なのだろうが、典型的な粗悪品だ。あのような海苔を作ったり売ったりしている限り、海苔業界はダメだと思った。

女中さんに聞くと、お年寄りのお客さんはみなさん残すという。メーカーの名も書いてあるが、聞いたこともない名前だ。それが毎朝出て来る。女中さんが「お客さん、海苔屋さんだというのに、何故海苔を食べないのですか」というが、とても食べられる代物ではない。海苔というものは、みなさんが好きなのだ、だからこそ良いものを提供しなければいけないのだ、という気持ちに海苔屋全体がならなければ、消費者を裏切ることになってしまう。このことを本当に海苔業者は肝に銘じなければならないと思う。

ところで、今の海苔需要が余りもしない、足りなくもない、まあ、需給のバランスが丁度良い、という量は何枚だろうか。私は七十億枚、ちょっと色を付けても七十五億枚ではないかと思う。端売りも加工も一切引っくるめてだ。その線なら生産者も問屋も成り立って行くと思うが、それを二割五分も五割も上回った量が採れるのだから、昔のような妙味があるわけがない。